一六一六年、泉山の発見
日本の磁器史は、九州佐賀の小さな町・有田から始まる。伝承によれば、一六一六年、朝鮮出身の陶工李参平(り・さんぺい)が有田町の泉山(いずみやま)で、磁器の原料となる白磁鉱(カオリン)を発見した。これが日本における磁器生産の出発点とされる。今年で四百年を超えた。
ただし、この起源伝承は全面的に裏づけられているわけではない。九州陶磁文化館の展示解説や近年の考古学的調査では、泉山以外の複数の窯場で、ほぼ同時期に磁器生産が始まっていた可能性が指摘されている。「李参平=有田磁器の始祖」という単純な物語は、江戸後期から近代にかけて整形された歴史像でもある。
伊万里港からヨーロッパへ
一七世紀後半、有田で焼かれた磁器は、近隣の伊万里港から出荷されたため、国内外で「伊万里焼」と呼ばれた。中国の景徳鎮が明末清初の動乱で輸出停止した空白を埋めるように、有田の磁器はオランダ東インド会社(VOC)によって長崎・出島経由でヨーロッパへ運ばれた。
柿右衛門(かきえもん)様式――乳白色の素地に赤・緑・青の上絵付けを施す様式――は、一七世紀ヨーロッパの宮廷で熱狂的に収集された。ドレスデンのザクセン選帝侯アウグスト強健王は、柿右衛門を含む東洋磁器のコレクションを築き、それは現在もドレスデン国立美術館の磁器コレクション(Porzellansammlung)に収められている。
マイセンの逆工学
ヨーロッパは長く、硬質磁器を自分たちで作ることができなかった。中国・日本からの輸入に依存し続けていたこの構造を破ったのが、アウグスト強健王が抱えた錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベトガーである。一七〇八年から一〇年にかけて、ベトガーはマイセンでヨーロッパ初の硬質磁器の製造に成功した。
初期マイセンの意匠は、柿右衛門の明らかな模倣である。ドレスデンのコレクションを型紙に、東洋風の花鳥図、乳白色の素地、上絵付けの配色――有田の意匠が逆向きに輸出された形で、一八世紀ヨーロッパの磁器文化が成立した。
今日の有田と波佐見
現代の有田は、二つの極に分裂している。一方は、今泉今右衛門家のように、江戸以来の窯元と作家物を継承する高額・少量生産の世界。もう一方は、有田町から山を越えた隣町・波佐見で、日常食器を大量に生産する窯業である。流通の現場では、波佐見で焼かれた器が「有田焼」として流通することもしばしばあり、地域のブランド境界は曖昧である。
この二極化は、和紙職人が消えていく状況と対照的でもある。和紙は担い手の高齢化と後継者不足に直面しているが、有田は量産と作家物の両輪で、産業として生き残っている。
一方で――起源伝承の再検討
近年の美術史研究では、有田の起源神話を批判的に読み直す動きが続いている。李参平の発見物語は、江戸後期の地元記録で強調され、近代以降にさらに強化された。他の朝鮮系陶工の役割、他窯場との同時進行、原料の複数ルート――こうした複線的な史実が、一人の始祖の物語に単純化されてきた可能性がある。
四百年続く産業の脆さ
有田が四百年続いたのは、文化財として保護されたからではなく、ヨーロッパへの輸出から近代日本の食器生産、現代の量産と作家物まで、市場を絶やさなかったからである。伝統工芸というよりは、市場に執念深く適応してきた産業の歴史である。このしぶとさこそが、いまの陶磁文化の担い手が学ぶべき教訓になる。
- 佐賀県立九州陶磁文化館
- Staatliche Kunstsammlungen Dresden ― Porzellansammlung
- 矢部良明 編『角川日本陶磁大辞典』(角川学芸出版, 2002)